ページ

2016年11月4日金曜日

アメリカのお母さんたちの井戸端会議を言語学的に考察する

話題がいつも唐突ですみません。

ガールスカウトに入りました。小さい人たちがセットで。

ガールスカウトのシンボル、ベスト。活動するとバッジがもらえるご褒美システム採用。

日本でガールスカウトの活動をしたことがないので日本とは比較できないのですが、アメリカでは各地域の「troop(隊)」にわかれ、その地域のお母さん(ボランティア)が、自宅を開放して様々なアクティビティを企画します。
http://www.gsema.org/(East Massachusettsのガールスカウトのホームページ)

わが街のtroopは小さいほうですが、それでも20名少しの隊員がいます。
毎回全員集まるわけではないのですが、そのお母さんのお宅に集まってクラフトをやったり、話し合いをしたり色々楽しく活動します。
楽しく。
子供達は。
もっと言うと、英語のできる小さい人たちは。

さて初日、そのお宅にやってきました。
子供達は別室に集められ、何やらクラフトを開始です。のべ1時間半の予定。楽しそうだなあ。
お母様方は、帰ったり、残ったり。
さてここでわたくしは残るべきか残らざるべきか。

もちろん、帰ったところで誰も文句は言いません。ここはアメリカ。「周りの目」というものが存在しません。存在しないものは気にしなくてよろしい。
しかし、初めての場所で不安かもしれない小さい人たちを置いて、自分だけ帰って良いものだろうか。それは敵(誰?)に背中を見せることにはなるまいか。

ということで、決死の覚悟で居残りを決定いたしました。また少し白髪が増えたと思います。
多様性を誇りにするボストンで、90%アメリカ人という環境に放り込まれたのは初めてです。アメリカの先生になる大学院ですら留学生のいるおかげで、アメリカ人率は60−70%に抑えられているというのに。残り10%に相当するインド人のお母様(1名)はアメリカ育ちらしく英語はペラペラです。
アメリカ人のお母様方の井戸端会議に初参加です。

さていつも思うことですが、アメリカ人(もしくはロシア人、そしておしなべて南米の方々)の日常会話に参加する際に何と言っても難しいのは、「会話に割って入る」ということだと思います。
聞き取りはだいたい大丈夫です。話すことにもだいぶ慣れてきました。
アイコンタクトも出来るようになってきました。心拍数は上がるけれど。
相槌を打たせたら一級品です。
しかし、会話に「割って」入ることがどうしても出来ません。

そこで初日と2日目は観察することにいたしました。
そこからの考察でわかったこと;
1)一人のしゃべる持ち時間が長い。多分日本人の2倍は持ち時間を与えられている。つまり、それだけの長さを自分もしゃべることが要求されていることに気づき愕然とする。
2)話題は多分日本と変わらない。
---隣の家と密接して建てられてるから、子供達が窓あけて何か会話してるのよ!そのうちケチャップの貸し借りしたりして!
---学校の算数の勉強はどのくらい進んでる?うちの子の先生は今年は◯◯先生だから喜んでた。
---シカゴカブスが調子が良いね!この前車で5時間かけて試合見に行ったけど(シカゴに?)、チケット忘れて大変だったのよ!(あ、シカゴカブスWS優勝したんですね)
---サマーキャンプ行った?家でいろいろやってたら、あっという間に時間がたって、キャンプ行かせなくても大丈夫だったよ(うちはキャンプ行かせないと、親子で煮詰まるのでもちろん大枚叩いて入れました)
---ハロウィンのtrick or treatどこに行った?◯◯っていう有名人がマスク被って回るっていうから、マスク被ってる人五人くらいに会ったけど、いちいち聞こうかと思っちゃった!
などなど。

つまり、話している内容は変わりません。
しかし、話しの「運び方」が恐らくちがうのです。
会話のキャッチボールの、ボールの行き先が読めないし返し方もわからないので、入れないのです。これこれ、Linguistics(言語学)でやりました。

Agar(1996)はAthabaskanというネイティブアメリカンの1種族と、Anglo(今は使われないアングロ人つまり白人の総称。蔑称にもなるので使わないほうが良い)の会話を観察して言いました。「会話において、どれくらいの長さで話すべきかが、両者で異なる」と。Athabaskanはどちらかというと、われわれアジア人寄りです。彼らから見ると、Angloの会話は長すぎて「Monologue(独白)」です。そしてやっぱり、AthabaskanもどこでAngloの会話に口を挟んだら良いのか、わからないのです。
一方のAngloは、いつまでしゃべってもAthabaskanがはあ、とかほお、とかしか言わないので、少し違和感を感じます。そしてついには「あなたとお話できてよかったです」と会話を終えてしまいます。Athabaskanはこのように会話をブッチ切って終わりにしないので、これまたびっくりしてしまいます。
これ全く、私とアメリカンお母さんの会話と私の立場と同じです。
このような会話の運びを「Speech act」と言います。

英語の会話が難しいのは、このような要因も絡むのです。
いくら単語を覚えても、いくらヒアリングを磨いても、Speech actを把握しないと、会話が弾まないのです。一対一だと、お互いのSpeech actを把握するのが早いでしょうが、集団の中にいると難度が上がります。

・・・ということで、授業でやったことを実地で体験し、学校の勉強って役に立つなあ・・・と、会話で2センテンスしか話せなかった自分を慰め、次こそは5センテンスくらいは話せるようにしよう、と誓ったのでした。


✴︎難しいけど、参考書籍✴︎
Micheal Agar "Language Shock--Understanding the culture of conversation"











2016年11月1日火曜日

ハロウィーンの本番を授業で欠席なのだ。

今日は学校の授業があるので、Trick or Treatには同行できませんでした。
残念むねん。
日本ではハロウィンはイコール仮装アンドお菓子をもらう日ですが、アメリカでも当日はまさにそんな感じでした。
黄色い帽子のおじさんのコスチュームを着た人を見かけたのが印象的でした。おじさん、i衣装の後ろのチャックが上がりきってなかったし。


〜ということで、今年のハロウィンのおはなし、おしまい。〜



さて、大学院の授業の話です。
今学期の月曜日の授業は、Disability(障がい)をもつ、あるいは正規の教育を受けてこなかったELL(English Language Learner) をどうやってサポートしていくかという授業です。

これまで6回も授業がありました。これまで勉強したことのまとめとしては
1)Disabilityには色々な種類がある;Learning disability, Physical disability, Intellectual disability, Dyslexia, mental retardation等。視覚・聴覚についてDisabilityも広く含めます。
2)アメリカの教育も刻々と変わっている。教育改革のきっかけの一つは、冷戦時にソビエトがスプートニクの打ち上げに成功したことである。国家間の競争にテクノロジー人材が不可欠であるということに気づいた。そもそもその前から優秀なテクノロジー人材の必要性は、軍部から声が上がっていた。
そのため、昔より子供たちにもとめられる学力の水準が上がり、授業についていけない子供イコールDisabledと判断される人数が増えてきた(2016.11.3追記).
3)ELLでアメリカに来たばかりの子供に、disabilityがあるかどうかを見極めるのはとても難しい。なぜなら、例えば授業についていけない生徒がいて、英語のProficiencyが低いことと、その他の要因であることは見極めが(特に最初は)非常に難しい。
4)ELLの資格をもちでSpecial educationの子供もみられる先生が必要(難しいだろうなあ両方学士あるいは修士をとって初めてその資格があると見なされるから)。
5)親の協力が不可欠であること。IEPミーティングという、クラス担任、ELLの先生、Specail education の先生が出席するミーティングがありますが、親が必ず出席するように求められる。ミーティング以外の場所でも、とにかく親のかかわりが期待されている。

今日は、各自Disabilityをもつ生徒のケーススタディをやって、全員自分の結果について発表するという回でした(だから休めなかった)。
ケーススタディとは、対象となる生徒に1時間から数時間にわたり学校でついて回り、何を学んでいるか、先生は何を教えているか、教材、クラスメートとのかかわりについて、なるべく細かく観察することです。
私の対象の生徒は、Physical disabilityとIntellectual disabilityをもつELLでした。

まったく知識がなかったのですが、Intellectual disability やDyslexiaその他上記に挙げたdisabilityについては、何年経っても通常の生徒と同じゴールに達することは、期待できないと考えられています(以前は達する可能性があると考えられていた)。
だからその生徒も、おそらく同じ学齢の子供達に学力で追いつこうとするのは大変難しいのですが、それでもにこにこ明るく、友達もいて、そして授業でも発表ができるのです。
しかし、長いセンテンスを理解するのは、英語の能力かIntellectual disabilityによるものか不明ですが、その生徒にはできません。
(「発表する」という能力と「読み書き」が別物なのがたいへん興味深いです。)

私の住んでいる地域や隣の都市では、そういった生徒に先生が一人つきます。
なので、この地域のよく学校で目にするのはDisabilityをもった生徒と、それに付き添う大人(=Special educationの先生)の2人組。ある時などは、先生二人に母親、そして子供、という大人の人数が多い組み合わせも目撃しました。
このシステムの恩恵を受けようと、Disabilityをもつ生徒が多く引っ越してくると聞きました(時には外国から)。若い先生の雇用にもつながっているようです。

理想的に見えるシステムですが、問題点などもあるのでしょうか?またよく調べたらご報告します。